仲代 ― 「影武者」がカンヌ映画祭でグランプリを受賞したときは、心底ホッとした 野上 ― 黒澤さんもそうですよ。苦しいことを乗り越えて完成させた映画だから、喜びもひとしおだった
仲代 ― 野上さんから見て、黒澤明という監督は、作品によって役者への接し方が変わるような一面はありました?
野上 ― ないと思う。いつだって自分本位だったんだから、そういう意味じゃ公平な人でしたよ。仲代さんは、監督の様子の変化を感じたことがあったんですか。
仲代 ― 変化というか……なにしろ壮絶でしたよね、黒澤組の現場って。
野上 ― 壮絶っていわれるとよくわかんないけど、それ、ほめてんの?
仲代 ― ほめておりますよ! もちろん!
野上 ― ハハハ、いわれてみれば年齢とともに変わっていった面はあるのかもしれない。「デルス・ウザーラ」(※黒澤明監督によるソビエト連邦の映画。1975年公開)で海外に出ていったことで、けっこう変わりましたね。 ほら、外国の役者やスタッフに対して、言葉では説明のしようがないから、仕方なく黒澤さんが自分でやって見せることになったんだね。
仲代 ― 監督みずから演じてみせて説明するってことね。
野上 ― 日本で撮るときと違って知り合いの役者がいないから、照れることもなかったみたいでね。これがまたけっこうしっかり芝居しちゃうんだ、びっくりするくらい。
仲代 ― うん、わかりますよ。「影武者」のとき、ぼくたちに対してそういう感じで実際にやって見せてくださいました。
野上 ― 「デルス・ウザーラ」の主演だったユーリー・サローミンさんの前で演じた経験が生きたってことですよ、それは。日本の現場だけで撮ってたころは、恥ずかしがってそんなことできやしなかったもんね。サローミンさんにも「うまいですねえ!」なんてほめてもらえて、しだいにくせになっていっちゃったらしい(笑)。
仲代 ― ぼくは新劇育ちで、たとえば千田是也さんや小沢栄太郎さんから「ここでの心理状態はこうだから、こんなふうに動いて、そうしたら今度は……」と演技をつけられるっていうやり方は、十分身に染み込んでいるんですよ。だから黒澤さんがそうなったとき、やりにくさや違和感はなかった。
野上 ― でも黒澤さんの演出、ものすごい細かかったよね。仲代さんの一人二役が同じ場面に出てくるのを合成って方法で見せるときなんて、ほんの数秒の狂いも許されなくて。あの場面は、それぞれの役に扮した仲代さんを別撮りしたものを合成という方法で貼り合わせるんだけど、合わさったときには二人の仲代さんがごく自然にせりふをやり取りしていなければいけないわけで、舞台で鍛えた仲代さんでなければ、あの要求には応えられなかったはずです。

仲代 ― やたら念入りにリハーサルをしたのを覚えていますよ、20日ほど費やしたんだったかな。メークもして、その場面に一緒に出た山﨑努と二人でね。
野上 ― やった、やった、もういやになるくらい。山ちゃんも大変だっただろうね。
仲代 ― 大変といえば、こんなこともありました。ぼくの二役のうちの一つは武田信玄役で、黒澤さんから「もうちょっと、顔丸くならない?」といわれました。それで、歯医者で含み綿を入れてもらって、頬をふくらませて臨んだんですよ。これはもう有名な話でしょうからしゃべってしまうけど、信玄役にはもともと、勝新太郎さんがキャスティングされていましたよね。いろいろあって、結果的にぼくを代役に選んでいただいたわけですが。黒澤さんはもしかしたら、長谷川等伯の描いた丸顔の武田信玄像を参考にして、信玄役のイメージを固めていったんじゃないですか。よく似ていますから、あの信玄像と勝さんは。
野上 ― そういう話は聞いたことないなあ。自分の映画の登場人物をイメージするとき、等伯だろうと誰だろうと他人の絵なんて参考にしないと思うよ、黒澤さんの場合。イメージはどうあれ、勝さんは黒澤さんとは合わなかったから、仲代さんに代わってよかったんですよ。勝さん自身はいい人で、私もよく一緒に飲んだりしたけどね。あの人は自分で主演しつつ演出もやりたいって人でしょ、テレビの「座頭市」なんかもそうだったらしいよ。
仲代 ― 勝さんが最初に信玄役に決まったとき、彼から相談を受けたんです。黒澤映画に出るんだけど、どうしたらいいかっていうから、ぼくは「ひたすら監督の意図に沿うように演じたほうがいいよ、自分で演出しようとしちゃだめだよ」と応えて、その場では勝さんも納得したんですが……。
野上 ― 黒澤さんの演出はイメージがはっきりしているから、勝さんと組むのは無理があったんです。「監督が二人もいるんじゃたまんないよ!」ってなもんよ
仲代 ― でもやっぱり、ぼくの潜在意識のなかには「これは勝さんに与えられた役だ」っていう思いはあったような気がしますね。考えまいと思っても、「勝さんならこのせりふはこういうだろうな」といった想像をせずにいられない。そのせいで、(勝さんの声色や表情をまねて)「おぅい」なんて感じになっちゃうんだよね、どうしても。
野上 ― フッフッフ、似てるよ。仲代さんがそんなこと意識してるなんて、見えなかったなあ。
仲代 ― そういう複雑な思いをかかえて演じただけに、「影武者」がカンヌ映画祭でグランプリを受賞したときは、心底ホッとしました。
野上 ― 黒澤さんもそうですよ。苦しいことを乗り越えて完成させた映画だから、喜びもひとしおだったと思います。
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