歌舞伎俳優・人間国宝・日本芸術院会員の五代目中村富十郎さんは、芸域の広さ、明快で歯切れのよい口跡、動きの美しさ、舞踊のうまさに定評がある。玄人受けするだけではない。歌舞伎初心者も、富十郎さんの踊りに「なんだか心が浮き立つ感じで、楽しくなる!」という。役の性根に迫る深みのある演技と、観客を楽しくさせる遊び心。まさに知と遊を兼ね備えた役者、「いよっ、天王寺屋!」
近ごろの若者は、学業のうえからも道徳面からも、かなりレベルが下がってきているといわれている。人生の達人として、若い世代の風俗文化に対してどのように感じておられるのか、どうしたらいいとお考えなのか、うかがってみた。
中村さん:「名人といわれるお能の喜多流一四世家元喜多六平太先生が芸談として、語っていらっしゃることなのですが、若い人にかぎらず、温故知新(古きをたずねて新しきを知る)とか、和魂洋才(日本固有の精神をもって西洋の学問知識を学び取る)ということが大切なのでしょうね。
日本人としての知性とか、日本人としての文化を考える人間になって、世界の人とおつきあいすることが必要なんじゃないでしょうか。
それには、やっぱりご家庭、ご両親の責任だと思いますよ。親としての愛情を注ぐ、というのは、お金を渡すといったことではなくて、温かい言葉で親子兄弟が話し合える、心の交流があれば、きちんとした人間に育っていくと思いますよ。家族との心の交流がない若者が、いろいろ問題を起こすんじゃないでしょうか」
富十郎さんはお総菜のような食べ物がお好きだそうだ。母の徳穂さんが健在のころ、たまに母のもとで食事というようなチャンスに、「なにがいい?」と訊かれると、たいてい煮物や、揚げ出し豆腐、鯵のから揚げなどをリクエストした。「お前は庶民的なものが好きだねえ」と苦笑する徳穂さん。これには、富十郎さんの子供時代の原体験が影響しているようだ。
踊り一筋の母に代わって幼いころの富十郎さんを育てたのは、父方の祖母。夏、トンボ釣りなどに夢中になって、腹ペコで帰ってきた孫に「煮物ができてるよ」「瓜が冷えてるよ」と、祖母が声をかけてくれた。その声は、何十年たっても富十郎さんの耳の底にある。
中村さん:「私はねえ、ディズニーも好きだけれども、ジブリの『となりのトトロ』なんて大好きなんですよ。野山を駆け回って、ちょっとした冒険をして、帰ってきたら隣のおばあさんと友達が待ってて。ね、いいじゃありませんか。遠くまで行かなくてもいいんです、ちょっとしたお花見だっていい。手づくりのお弁当を持って出かける。平凡でもいいから家族で過ごす時間を、いまの子供たちにもっと持たせたいなあ。一人でゲームばっかりやっていたんじゃあ、人とのおつきあいなんてできませんよ」
役者としても老成することなくいつも若々しい富十郎さんだが、父親になって、一段と気力充実、若さも増してこられたようだ。
中村さん:「私は戦争もあって思うように学校にも行けませんでしたから、大にはしっかり勉強して、立派な社会人になってもらいたいと思うのですよ。学校へ行くようになったら、私の教育方針として、舞台の時間のことで学校は休ませたりしません。お勉強が遅れるから、とかそういう問題だけではなくて、先生や友達との心の交流を大切にさせたいからです。学校での友達づくりは人間としての基礎づくりでもあるし、その積み重ねで人から好意を持たれる人間に育っていくのだと思います」
明快な口跡で語られるお話は、多岐にわたり内容豊富、人名もたくさん出てきたが、誌面の都合ですべてをまとめられなかったのがまことに残念である。富十郎さんから読者へのメッセージは、
中村さん:「役者として、いま幸せだなあと思うことは、歌舞伎座では一二か月休みなく歌舞伎が上演されていること。これはひとえに松竹永山会長はじめ関係者のご努力のたまものでございます。繰り返し上演されている作品は、歌舞伎の名作でございますから、ぜひ劇場にお運びいただき、ご鑑賞いただきたいと思います。東京以外でも、名古屋、京都、大阪、博多などで歌舞伎がかかりましたら、ぜひご覧くださいませ」
五代目中村富十郎プロフィール
本名・渡辺一(わたなべはじめ)。
昭和4年6月4日東京生まれ。父は上方歌舞伎立女形(たておやま)の四代目中村富十郎、母は舞踊家初代吾妻徳穂(あづまとくほ)。慶應義塾普通部中退の後、現在塾員。屋号・天王寺屋、俳号・一鳳、定紋・鷹の羽八ツ矢車。重要無形文化財(人間国宝)、日本芸術院会員
◆企画コーディネート/同前雅弘
◆取材・執筆/佐藤宏子
◆写真撮影/根岸聰一郎 |
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