仲代 ― 俳優としての基礎を身につけるのに10年はかかる 阿部 ― 最終的に問われるのは基礎力なんだと痛感させられた
仲代 ― きょうはよろしくお願いします。ぼくは数年前、柄にもなくこの『知遊』という雑誌の編集委員をおおせつかりましてね。この対談ページでは司会進行役のようなことを務めさせてもらっています。今回は初めて3人でのおしゃべりですから、聞く側と聞かれる側に分かれるのではなく、楽しく雑談するという感じにできたらと思います。お二方に来ていただいたのはもちろん、「海辺のリア」のご縁でね。小林監督とはぼく、これで3本目の映画ですね。
小林 ― そうです。2010年の「春との旅」、2012年の「日本の悲劇」に続いて、仲代さんには3回出演していただきました。
仲代 ― よくぞこの老優を起用してくださいまして、ありがとうございます。阿部さんとの共演はいままでなかったんですよね。芝居はうまいしイケメンだし、ここまで順調にやってこられた俳優さんという印象があったんですが、苦労された時期もあったそうですね。
阿部 ― 苦労といえるほどのことではないんです。ぼくは雑誌モデルからスタートしまして、役者の基礎をまったく学ぶことなく映画デビューしました。ついにその現実にぶつかったときは途方に暮れ、どうしたらいいのか模索してばかりの時期が5、6年ありました。
仲代 ― 本気でプロをめざすなら、基礎を身につけるために10年以上はかかると思います。でもときとして、基礎がなくても持って生まれた才能や個性によって花開く役者が出てくるものです。阿部さんはまさにそういう人なんじゃないですか。
阿部 ― そんなことないです。基礎のなさが長いことぼくのネックで、どうしてもそこに戻ってしまう。この年になってもまだ基礎の弱さを思い知らされることがたびたびある。やっぱり最終的に問われるのは基礎力なんだと痛感しています。俳優って映像や舞台で演じるだけでなく、いろいろな仕事がありますよね。とくに吹き替えのような声の仕事のとき、「基礎のできている人は強い」と感じることが多いですね。元無名塾の方とも頻繁に仕事でお会いしますが、たとえまだ世間に名前が知られていない人でも、ぼくとは別次元の芝居をする。彼らに教わること、いっぱいあります。
仲代 ― ありがたいです、阿部さんにそんなふうにおっしゃっていただいて。
小林 ― 仲代さんは、無名塾の入塾試験には立ち会われるんですか。
仲代 ― 立ち会います。「この子は合格させられないな」という人ほど、ぼくは親切に接するよう心がけていますね。
小林 ― そ、そうなんだ(笑)。第一印象からピンとくるものですか、「この子だ!」って。
仲代 ― 確信できるわけじゃないですが、勘が働くことはあります。「この子の個性なら、ここで3年勉強して、さらに本人が自力で7、8年くらいがむしゃらにやれば、おもしろい役者になるかも」というのがなんとなく見えてくるんです。もっとも勘はあくまでも勘ですから、不合格の子のなかから超売れっ子が誕生することがあるというのも現実なんですが……(笑)。
阿部 ― けっこうそういう人、多いですよね(笑)。
仲代 ― 小林監督は「社会派」の映画監督とよくいわれますよね 小林 ―「社会派でありたい」みたいな強い意識はないんです
仲代 ― 小林監督はキャストを決めるとき、役者の技術と、その役者自身の雰囲気や印象と、どちらを重視されるんでしょうか。両方、同じくらい大切ですか。
小林 ― むずかしいですが、両方ですね。ただ、いまは比較的、役者さんが「演技する」というよりも「自分の個性を出していく」のが主流になってきているじゃないですか。個性を大事にすることが悪いわけではないんですよ。だけど、「春との旅」から始まった仲代さんとの映画でも、みんなで一緒にそれぞれのキャラクターをつくりあげていくってことができたように思うので……そういう作業をしづらい現場が増えているんじゃないかな、と考えることはあります。
仲代 ― 今回の「海辺のリア」について、どういう映画なのかと質問されることがあるでしょう。どう答えたらいいか困っちゃうんですよ。だって内容をしゃべってしまうとつまらないですよね、この映画の場合。だから「仲代達矢が認知症になったらこうなる、という小林監督の想像が映画になったものじゃないでしょうか」くらいのことしかいえないんです。

小林 ― え……いや、ええと……(苦笑)。
仲代 ― 「春との旅」は、生活に困ったおじいさんが孫娘に付き添われて、きょうだいの家をつぎつぎに訪ね回る話でした。ラストでは悲しみが強調されることもなく、「じいさん、よかったな」という終わり方になったとぼくは思っています。「老い」をまっとうしたっていうのかな。「日本の悲劇」にしても「海辺のリア」にしても同様に、人間の「老い」が描かれています。監督としては、やはりそこは意識していらっしゃいますか。社会派の映画監督だといわれることも多いですよね。
小林 ― 狙っているってわけではないですが、確かによくいわれますね。でも自分ではそんな柄じゃないというか、「社会派でありたい」みたいな強い意識はないです。
仲代 ― それでも、たとえば小林監督が実際に起きた年金不正受給事件に衝撃を受けて脚本を書かれた「日本の悲劇」なんて、現代社会を象徴するような話ですからね。監督の映画って、最近では珍しいくらい、ほとんどが原作のないオリジナル作品です。映画づくりのきっかけになるのは、やはりそういった現実の出来事が多いんですか。
小林 ― 「日本の悲劇」で書いたことに関しては、病気を経験したぼく自身も他人事じゃないと思っているんです。亡くなった親の年金を、その子供が長いこと受け続けていたという問題を取り上げたNHKのドキュメンタリー番組を見てから、いろいろと調べ始めました。ただ、調べてみても客観的事実が見えてくるだけで、当人がいったいなにを考えて、なにをして日々を送っていたかっていうことまでは、結局はわからないんですよね。もう亡くなった当人に話を聞くことはできないし、その部分は想像するしかない。だから脚本を書くとき、どこまで自分が入っていけるか、自分のなかで実感できるかというところが、いつも勝負なんです。
阿部 ― 仲代さんに、世間をびっくりさせるような役を演じていただきたい 仲代 ― 役者というのは、つねに全身を使うアスリートです
仲代 ― 以前、小林監督に「いちばん好きな映画監督は?」とお尋ねしたら、ぼくも好きな監督の名前を挙げてくださいました。フランスのフランソワ・トリュフォーです。監督は、トリュフォー作品のどういうところがお好きなんですか。
小林 ― なんていうのかな……。あくまでもぼく個人の捉え方ですけれど、ヒーローとかスターとかでなく、本当にどこにでもいそうな人を主人公にした映画を撮って、そこに普遍性を持たせたっていうところじゃないですかね。加えて、おそらく当時の常識では考えられないような撮影方法も、トリュフォー映画の魅力の一つだと思います。屋外にカメラを持ち出して、なるべくライトを減らして自然光を生かすっていう、ドキュメンタリーに近いような撮り方をしていたんですよね。すごく画期的なことだったんだろうと思いますし、もちろん作品自体も素晴らしいです。
仲代 ― ぼくも小林監督の素晴らしい映画に出させていただいて、われながら幸せ者だと思っていますよ。3作品とも、ぼく自身がぜひ出演したいと強く思えた映画ばかりでした。こんなことって、そうそうあるものじゃないんですよ。役者って、たとえばおもしろい文学作品を読んで「これを映画化できたらいいなあ! おれはこの役を演じたいなあ!」と望んでも、なかなかそれを実現させることはできません。仮に映画化されたとしても、意中の役にキャスティングされたのが自分じゃなかったりしてね。逆に、「この役はおれじゃないほうがいいだろうに」っていう役をオファーしていただくこともある。その点では、役者ってつくづく受け身の存在なんですよね。阿部さんも今後続けていかれるであろう、この役者というやっかいな仕事について、なにかふとお考えになることはありますか。
阿部 ― 今回初めて共演させていただいて感じたのは、仲代さんのお年であれだけの膨大なせりふをしっかり覚えてご自分のものにしていらっしゃるのって、とてつもなくすごいんじゃないかということなんです。ぼくにとって、仲代さんとの共演は衝撃の連続でした。
仲代 ― ぼくこそ必死ですよ、60歳どころじゃないんですから。
阿部 ― 間近で仲代さんのお芝居を拝見して、「どうしたらこんなふうに年齢を重ねていけるのか」と、ずっと考えていました。ぼくからすれば、一条の光です(笑)。仲代さんは、もう80歳を超えていらっしゃるんですよね。
仲代 ― 84歳になりました。
阿部 ― 映画監督でもプロデューサーでもないぼくがいうのも変ですが、なんていうかもっともっと、世間をびっくりさせるような役を仲代さんに演じていただきたい。ぼくがもし84歳になっても役者を続けられていたら、ぜひスナイパーの役をやりたい(笑)。本来なら無謀といわれるような設定かもしれませんが、仲代さんの主演だったらすぐに実現できるじゃないですか。ぼくら世代の役者が自分の20年後や30年後に希望を持てるっていう意味でも、仲代さんがそういうエキセントリックな役を生き生きと演じてくださったらとても嬉しいですし、かならずおもしろい映画になると思うんです。日本の映画界はせっかく仲代さんのような存在に恵まれているんですから、いまこそ旬と捉えていろいろな遊びや冒険に挑めるはずなのに。
仲代 ― さすがに、ぼくも体がもたなくなってきましたよ。役者を60年以上もやっていると痛感しますね、役者というのはアスリートなんだって。どれだけ全身を使えるか、どれだけ運動神経が優れているか、そこが強く求められるんです。馬上から落っことされたり、なかなか危険な目にあわされてきたものです。最近はどうにもこうにも、はっきりと体力の衰えを自覚しますね。でも阿部さんがそういうことを願ってくださっているっていうのは素直に嬉しいですよ、役者には定年はないからね。
阿部 ― なぜそういう企画すら立ち上がらないのか、不思議なくらいなんです。もっとも「仲代さんがこんな弾けた役やってくださるかなあ」とオファーをためらってしまうのかもしれませんが、ぼくは個人的にぜひ観てみたいんです、バンバン弾ける仲代さんを(笑)。仲代さんもそうですが、大先輩の方々がびっくりさせてくださるのって、ぼくらにしてみたら励みにも安心感にもつながるんです。若いころに大滝秀治さんとご一緒させていただいたとき、当時60代でいらした大滝さんがすごくすてきで、子供のように無邪気に役づくりをしている姿を端から見て、「うわあ、おれもこうなりたい!」と感激したことがあります。「海辺のリア」で仲代さんとお会いして、20年ぶりにそのときの気持ちを思い出しました。体力のことをおっしゃいますが、むしろご自身を酷使なさったほうがいいんじゃないかって、ぼくは勝手に思っているくらいなんです(笑)。
仲代 ― ハハハ、楽をしちゃいけないってことだ。
|