「勉強なんてやめな、やめな。考えごとすると体に悪いよ」と、お母さまにいわれたそうですが、優秀なお子さんに育って、東大法学部に進まれるんですよね。
小椋さん:「ぼくの小学校時代は、一度も学級委員なんてやったことがないし、勉強でもスポーツでも優れたところのない、その他大勢の子でした。五年生のとき、誰かにすすめられたのかなあ、母が家庭教師をつけてくれましてね。その先生との出会いが一つの転機だったかな。週二回のその先生との勉強が苦痛でね、勉強なんて大嫌いでしたから。
ところがその先生五年生の勉強なんて全然させないで、いきなり中学の英語・数学・国語。それも、六年生が終わるころには中三の最後まですんじゃったんです。だから中学に進むと、いきなり優等生。成績表は5ばかり。親戚の人などに成績表を見せると、お小遣いがボコボコ入ってくるんですよね(笑)。そうなると、気分よくなってますます予・復習に精を出す。中学では、超優等生で先生たちの愛玩動物でしたよ。都立高校も優等生スタートだったんですが、二年のはじめに斎藤先生という国語の先生に出会いました。その先生には、本の読み方、それも精緻な読み方を徹底して教わりました。
『三太郎の日記』なんかを教材にして、色鉛筆で印をつけながら『この言葉とこの言葉はどういう関係にあるか』とか、『それは、という代名詞がなにを受けているのかきちんと考えながら読め』というようにね」
読書に熱中するようになり、恋愛小説から思想書、哲学書の類も読みふける。高校時代に耽読したのは、のちに実存主義作家の先駆けとして評価されるイタリアの作家アルベルト・モラビア。『無関心な人々』『ローマの女』や、ブリジッド・バルドゥ主演で映画化された『軽蔑』の作家として知られる。
読書はやがて、デカルト、カント、プラトンなどにも移るが、理解しようとすればするほどわからなくなる。肉体はバスケットボールに熱中する健康な高校生だったが、精神的には不安定な時期を迎える。
小椋さん:「体のなかになにか丸いものが飛び込んだような感覚があって、そうすると、すべてのものに過敏になるんです。外を走る車は轟音を立てているように聞こえるし、目の前で話している人は、怒鳴っているように感じる。周囲の人にはぼくのそんな変化は感じられなくて、いつもどおりに見えるそうです。考えごとをすると、その発作が起きる。肉体と精神のアンバランスが原因かもしれませんが、年に数十回の発作が、大学生になってからも続きました。治ったきっかけはねぇ、タバコです」
浪人中に太ってしまってバスケットができなくなったので、東大入学後はボート部に所属。ところが、ボート部の学生は、駒場の授業には出ずにもっぱら戸田でボートの練習ばかり。そんな生活になじめず、一年でボート部は退部したが、かといって駒場での授業にも情熱が湧かない。そんなときに、たまたま海外から帰ってきた叔父(前出の資産家)を迎えに空港へ行き、中年のツアーコンダクターを紹介される。
小椋さん:「その人と、日米観光という会社を立ち上げたんです。資本は叔父が出してくれました。一九歳を二五歳と偽って、タバコをスパスパ吸い、中小企業の社長を相手に、『社長さんほどの成功者は外遊ぐらいなさらないと。私がヨーロッパをご案内しましょう』とかなんとか、調子のいい営業マンになって、48人のヨーロッパツアーご案内役をやっちゃったんですよ。
パリの観光案内なども、現地のフランス人ガイドが英語でしゃべるのをさも通訳してるかのように、前の晩にガイドブック丸暗記で覚えて話すんです。ぼく、そのころほとんど英語しゃべれませんでしたから。後先考えない無鉄砲さは母譲りでしたね(笑)」
観光旅行会社で一年間を忙しく過ごし、そこを辞めた。大学は三年生になっていた。
あるとき、タバコの煙がゆらゆら頼りなげにゆらめいているのを見ながら、「あれ!? ぼくは、人間には感じられない答えを求めようとしてたのかな。絶対的な答えなどないのに」と、気づかされる。その後発作はゆるやかに減っていき、やがておさまった。タバコの思わぬ効用である。以後、大病をした後も小椋さんは日に40本ものタバコがやめられない。
小椋さん:「人間の能力では引き出しえない答えを出そうともがいていた、ということを何年もかかって気づいたんですけれども、それで納得していたわけではないんですよね。ず~っと《やり残し感》はあったんです。それが、49歳で勤めを辞めて大学に入り直し、青春時代に学び残したものにもう一度挑戦しよう、ということにつながったんでしょう」
小椋佳プロフィール
1944年東京生まれ。東京大学法学部卒業後、日本勧業銀行(現みずほ銀行)に入行。銀行勤務のかたわら、シンガーソングライターとして数々のヒット曲を発表する。『シクラメンのかほり』『俺たちの旅』『夢芝居』『愛燦燦』など他のアーティストにも楽曲を提供。93年、49歳で銀行を早期退職し、母校東大法学部に学士入学。96年文学部思想文化学科に学士入学、同大学院へ進み、哲学専門分野で修士号を取得。学究生活を送りながら、ファミリーミュージカル『エルダ・アルゴ』や、歌綴り『ぶんざ』の舞台制作を手がける。2000年スーパーベスト『デビュー』をリリース。大規模なコンサートツアーや、歌とトークのステージ《歌談の会》を全国的に展開。著書に『私とカレーの幸福な関係』『言葉ある風景』。
◆企画コーディネート/田中洋
◆取材・執筆/佐藤宏子
◆写真撮影/根岸聰一郎
◆舞台写真提供/(株)GFE |
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